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2010年05月 10号

本当ならば、介護される側だった私が、
介護する側にさせてくれたのが義母でした。

 


今号は、特別企画として、本誌の表紙絵と「今月の言葉」の作者島崎昌美さん(74歳)のインタビューをお届けます。かつては、グラフィックデザナー、画家として活躍していた島崎さん。1997年に脳梗塞で倒れたのを機に絵手紙作家として生きるようになりました。退院後は後遺症をかかえながら、奥さまのお母さまの介護生活を12年間経て今に至ります。力強くあたたかい絵手紙の中には、島崎さんの人生が詰まっています。
  shimazaki
▲脳梗塞で身体の左側が麻痺しましたが、最近は、右側が重く、しびれがあると島崎さん。「絵手紙を描いているときにも筆をよく落とすんです。だから私の絵はバックを墨で塗りつぶしたものが多いんですよ」(笑)

──脳梗塞で倒れたときの状況から教えてください。

 季節は5月、時間は5時頃でした。庭で歯磨きをしていたら、急に地面がグラッと上がって後ろに倒れました。神戸の震災がついに関東にも来たのかと思いましたよ。一瞬に意識が遠のいて、このまま死ぬのかな、と予感したすぐ後に、外壁に身体をぶつけた所が痛いと感じて、意識が戻りました。家の中にいた妻を呼んで病院に行ったのが6時頃。痛みを感じたというのは、それだけ軽い症状だったということと、たまたまいた当直の先生が脳外科医だったのが幸いでした。1カ月強の入院で帰ってくることが出来たのです。

──1カ月強の入院で済んだというのは幸運なほうだったのではないでしょうか。

 はい。最初は身体が左にねじれてしまうので、トイレに行くのもナースコールをして車椅子に乗せてもらって、ということをやっていたのですが、半月ぐらいすると、だんだん自分でベッドから上半身を起こして、テレビを見たり、食事をしたりができるようになりました。  そのときに「紙一重でこちら側に残された」と感じたんです。医学的に見れば「発症が軽かった」のですが、精神的には「紙一重で私をこちら側に残してくれた理由があるのでは……」だったんです。

──絵手紙を描き始められたのは入院中だったとか。

 麻痺は左側だったので、幸いにも箸もペンも持つことが出来ました。入院中の時間つぶしで、食事のときの箸袋の裏に、ブリキの灰皿から煙が上まで上がっていくのを描いて、「ぼくの失楽煙」と描いていたら、たまたま見舞いにきた友人が「40年おまえの油絵を見てきたけれど、これはぜったいに面白い。退院祝いに絵手紙展をやろう」と言い出しました。面白そうだから最初で最後の1回だけと思いながら、退院後に描きためていったら、1年で300枚たまったんです。本当に、友人が絵手紙展を開いてくれて、それがローカル新聞に紹介された途端に、お客さまがいっぱい来場して。この町はこんなに人口が多いのかと思ったくらいでした。

──退院してからすぐに奥さまのお母さまの介護が始まったのですか?

 私の退院と同時に妻の父が亡くなったんです。その義父も脳梗塞で倒れてから、13年間義母が介護をしていました。で、義父がいなくなったとたんに、義母に認知症が出ました。「親孝行するチャンスが巡ってきたと思って、おもいっきり介護しなさい」と妻に言って、義母を引き取ったんです。本当ならば介護される側だった私が、紙一重でこちら側に残り介護する側にさせてくれたのが義母でした。義母を抱えたり、散歩させたりで生活が急に忙しくなって、脳梗塞でクヨクヨしている時間もなくなりました。

──12年間の自宅介護は、たいへんだったのではないですか?

 最後の2年は寝たきりになりましたので、介護のプロに助けてもらいました。たいへんでしたが、義母の仕草や表情がね、私たちにグチを言わせなかったんです。例えば、一緒に買い物に出た時など、妻が少し義母の側から離れるとすぐに寂しい表情をするんです。そうすると「おばあちゃんすぐに帰ってくるからね」と言って踊ってやるんですよ。「上手だね~、今度、教えてもらわなくっちゃ」と笑って手拍子をしてくれました。以前なら周りに人がいる所でそんなことなんか出来なかったのに、義母が笑ってくれるなら、野道を散歩しながらも踊ることができました。親は、認知症になっても子どもを育てるものなんだなって。義母もまた、私を育ててくれました。

──その間に島崎さん自身のお母さまも、倒れられたとか。

 はい。平成16年ですから、今から6年前です。私の実家は自転車で5、6分の所で、ある日訪ねてみると、玄関に牛乳瓶が割れて散らばっていました。もしや、と思ったら中で母が倒れていました。すでに3時間経っていて、前頭葉がダメになってしまい、どんなことをしても言葉は回復しませんでした。でも息子が来たのは分かって、手をにぎって離さないんですよ。老人性難聴で耳もダメ。その上、話す機能を失ったとき、人は死よりも孤独感に苦しむだろうと想像しますが、身体をねじってうめき声をあげながら涙ぐむ母を見ると、やっぱり一緒に泣いてしまいます。「言葉の移植」って出来ないものかと、幼いことを考えてしまいます。

──そうした経験が、島崎さんの今につながっているのですね。

 病気は軽いとか重いとかではなく、そこをどのように通過するかで人生が変わると思います。脳梗塞で倒れて、今もなお後遺症がありますが、義母や母のおかげで、今、生かされてここにいることの大切さを通説に感じます。そして、自身が「縁」に支えられているという感謝の気持ちがいっぱいで、「ありがとう」という言葉が素直に言えるようになりました。病気と介護を通して、老後を陽気に迎えられるようになりました。

──これからも力強くあたたかな絵手紙を描き続けてください。

 はい。見よう見まねの自己流で始めた絵手紙ですが、展覧会でたくさんの方から手紙をいただき、その返事を描き続けているうちに、また誰かが私の背中を押して、個展や出版を重ねることができました。これからも、人と人の絆のようなものを表現できたらいいなと思っています。

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